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メスリ山古墳〔桜井市高田・上之宮〕
 

 奈良盆地東南部には、古墳時代前期の前方後円墳が集中する。奈良県天理市の南側から桜井市北側にかけ前述の黒塚古墳のあるオオヤマト古墳群あり、その南辺から5㎞ほどさらに南側の離れた位置に、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳という2基の大型前方後円墳がある。いずれも初期ヤマト政権の大王墓もしくは、それに準ずる地位にあった有力者の墳墓であったと考えられる。
 メスリ山古墳は、桜井市高田に所在する墳丘長224mの前方後円墳で、1959年に後円部の埋葬施設と、それを方形に取り囲む埴輪列が発掘調査された。日本列島最大の高さ2.1mの大型円筒埴輪を要所に、円筒埴輪と高坏(たかつき)形埴輪が合計106点配列されていた。
 後円部の中央に木棺を納めた長さ8.06mを測る竪穴式石室(主石室)がある。はげしい盗掘にあい、副葬品の遺存状況はよくない。鏡片や椅子形・櫛形・腕輪形・容器形の石製品や鉄刀片などが出土している。主石室東側には、長さ6mを測る竪穴式石室(副石室)があり、唯一例である鉄弓(てつゆみ)・鉄矢(てつや)のほか、鉄鎗(てつやり)・鉄剣・鉄鏃(てつぞく)・銅鏃など多量の武器と石製鏃・玉杖(ぎょくじょう)・紡錘車形・大型管玉などの碧玉製品、斧・鑿(のみ)・鉇(やりがんな)・鋸(のこぎり)・刀子(とうす)・手鎌(てがま)・針状工具など豊富な種類の鉄製農工具を納めていた。副葬品の格納施設と考えられる。
古墳の築造年代は、3世紀末~4世紀初頭である。
●玉杖
 副石室に納められた杖状の威儀具である。中国漢代の「玉杖(ぎょくじょう)」に倣い、この名称がつけられた。合計4点の出土があり、頭部に十字形の装飾をもつものと、翼形の装飾をもつものの2種、軸部が鉄芯で碧玉製のものと有機質(木製と推定)のものの2種がある。展示の2点は、碧玉製の頭部の2種と下端(石突(いしづき))部の間に、軸部の推定復元品を組み合わせたものである。
●復元矢(銅鏃)
 副石室からは、総数236点という圧倒的な量の柳葉(やなぎは)形の銅鏃が出土している。石室中央から南寄りの位置を中心に、10数本単位から80数本単位の合計8組の束状になって銅鏃が出土しており、矢柄を装着し、靱(矢筒)に入れた状態で副葬されたものと推定される。展示品は、出土した銅鏃に矢柄(やがら)・矢羽(やばね)の推定復元品を装着したものである。
●復元矢(石製鏃)
 副石室の石製鏃は、総数50点である。柳葉形のものが30点、鑿頭(のみがしら)形ものが20点で、柳葉形のものは、大小やその形態にバラエティーがあるが、鑿頭形のものはほぼ同形・同大である。いずれも矢柄に装着した痕跡がある。鉄鏃・銅鏃を装着した矢全体を、儀礼用に緑色凝灰岩製の鏃に矢柄を装着して作り替えたものと考えられる。

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